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平日でも休みでも [books]

あまり勉強時間が変わらないのはどうしてなのだろう。休みの日は10時間くらい勉強できたらいいのに、と思うけど、きょうもせいぜい3時間がいいところ。

しかも図書館に行く予定が、手前のカフェで勉強したりして、いやはや。仕事が静かな環境で1日中原稿を読んでいるので、その反動なのだと思うけど。ようするにある程度にぎやかなところにいって、無意識のうちに精神的なバランスをとっているのかな。

きょうは刑訴の訴因変更(312条)と、起訴状(256条)の判例(判例六法)を読んでました。訴因変更のところは特によくわかりません。このあたりは習うより慣れろで行こうと思います。

その他、きょう読んだ本は以下の3冊。

石田衣良『大人になるということ。』
http://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-67549-7

シルヴァスタイン『ぼくを探しに』
http://www.ehonnavi.net/ehon/637/%E6%96%B0%E8%A3%85%E3%81%BC%E3%81%8F%E3%82%92%E6%8E%A2%E3%81%97%E3%81%AB/

シルヴァスタイン『ビッグ・オーとの出会い』
http://www.ehonnavi.net/ehon/6182/%E3%83%93%E3%83%83%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%81%AE%E5%87%BA%E4%BC%9A%E3%81%84/

何かおもしろい本はないかなあと、図書館で書架をブラウジング。何冊か手に取ってみるのだけどイマイチぴんとこない。そこで場所を変えてティーンズコーナーへ。

実はこちらのほうが大人向けの本がたくさんあるんじゃないかと、ぼくは思う。ティーンズコーナーにある本は、対象読者である10代ではわからないものが多いと思うのです。むしろ大人向けだろうと。

絵本も同じ。そういうわけで、児童書コーナーとティーンズコーナーに大人が行かないのはとてももったいないことだと個人的には思います。賛同してくれる人がどれだけいるかわかりませんけどね。

紹介した3冊はいずれもティーンズコーナーにあったものです。シルヴァスタインの本は児童書コーナーにもあるかもしれません。

シルヴァスタインのこの2冊は、もう何回も読んでいますが、何回読んでも飽きないですね。ぼくは特に『ビック・オーとの出会い』が好きです。

連休で時間がありすぎるときはなかなか勉強ができないので、そういうときは心を耕す時間にするのがよいですね。

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『現代語訳 学問のすすめ』 [books]

きょうはもう1冊、図書館で見つけたちくま新書の『現代語訳 学問のすすめ』をななめ読み。

軽く流して読んだのですが、福沢諭吉先生、いいこと書いてます。さすがです。

現代版の自己啓発書とでも言えるかもしれませんが、ただ勉強をするだけでなく、もっともっと上を目指しなさい、そんな趣旨のことを言っています。

もっと勉強して、レベルを上げなきゃ、と思わせられました。

さて、あしたからまた憲法などの勉強に戻ります。これから勉強したい各科目のさまざまな分野を書き出してみたら、けっこうな量になってしまいました。あと1か月では絶対ムリ(笑)。

しかし試験までに完ぺきに準備が終わる人など1人もいないと思うので、気にしないことにする。超楽観的なのです。大切なのは、一つひとつ、確実に仕上げていくことだと思うので。


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レインツリーの国(その2) [books]

さて、いい本だと思いましたが、見逃せない表現が1点ありました。191pです。

「口数少ない美容師探してジプシーする人もおるしね。」

あちこち美容師を探し回るという意味ですが、ここでジプシーということばを比ゆ的に使うのはよくありません。

いわゆる差別表現といわれているもので、ここではジプシーということばを使わなくてもよいわけですから、別の表現に言い換えるべきです。

執筆者、編集者、それから校閲者、3者ともスルーしまっているのはいただけません。

とくに、本の内容が聴覚障害者の差別問題を扱っているわけですから、他の差別問題にも敏感・慎重であってほしいところでした。

そういうわけで、とても後味がわるいので、それ以外の部分はとてもよいのですが、この表現が使われているため、減点30点というところです。

こういうと、過剰な自己規制だ、とかいう方がいらっしゃるのですが(たとえばこの本の解説者もこの本の解説の中でそのようなニュアンスのことをいっています)、しかし表現の自由というのはあくまでも権力を持つ人たちに対して自由であるということであって、社会的にいろいろな差別を現実に受けている人たちに対して主張することではありません。

それは「自由」を主張する先を間違っています。実際に差別を受けている人たちに向けて表現の自由を主張するのは、基本的には弱い者いじめとなんら変わりがありません。

この点で、『実例・差別表現』という本を書かれている堀田貢得さんの意見を支持したいと思います。

そもそも、会話の中で相手を傷つけてしまった経験はだれしもが持っていると思いますが、そのときに、傷ついた相手を前にして、「表現の自由だ」と開き直ることに何か意味があるとは思えません。

好きな人を傷つけたことがある方ならそれはすぐ分かっていただけると思います。

表現の自由をタテにする人たちって、実はそういう経験がなかったりするのかな、と書きながらふと思ったりして。だったら納得かも(笑)。

やっぱり恋愛って大事なんですね(何をいまさら・・・)。

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レインツリーの国(その1) [books]

連休は山にでも行こうかなと思っていましたが、静かに読書や勉強をして過ごすのもアリかなと思うようになりました。

仕事のストレスが少々積み重なっていたので、山とか、まったく別のことで解消しようとしたのだけど、ストレスそのものと向かい合うことによってそれを消し去るのも有効ではないかと。そんなふうに考えました。

これは小池龍之介さんの『考えない練習』とか、その他の本による影響が大きいのだけど。

そんなわけで昨日から心静かに読書をしていまして、有川浩さんの『レインツリーの国』を読みました。

なんとなくツタヤで直感的に買ったのですが、重い話であることは予想していなくてやや動揺。軽い恋愛小説が読みたかったので。

聴覚障害のある女の子と、彼女にひかれる男の子の話でした。

自分にとってもなかなか厳しい話で、相手のことを考えるのは難しいなあとあらためて考えさせられてしまいました。

そういえば、10年ほど前、聴覚障害のある女性が近くにいて、余裕のあるひと数人が交代で講義のノートテイクをPCで行うということをしていました。期間は約3か月ほど。

最初は自分が担当する頻度も高かったのですが、そのうち自分のことでいっぱいいっぱいになり、なかなか疎遠になっていました。期間の終わりのころになって、また数回手伝うことになって、終わった時のこと。

それまでは簡単なお礼を言われていただけだったのですが、そのときはお菓子をくれたのを鮮明に記憶しています。

いえ、べつにお菓子がほしいわけでも、お礼を言われたいわけでもないのですが、おそらくその3か月の間に、ノートテイクをする側のぼくたちの苦労も少しだけ分かっていただけたのではないかと、推察しました。

ノートテイクをしていると、それでせいいっぱいで、講義を聞くことって実際にはできなくなっちゃうんですよね。そこに気づいてくれたのかな、と思って、ちょっとうれしくなったのを思い出しました。

もちろん、耳が聞こえないわけですから彼女の苦労の方が大きいに決まっていますが、だからといって周囲の人間が無償の愛を与え続けなければいけないわけではありません。

ひとと関わっていくというのはなかなか大変なことであります(何をいまさら・・・)。





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『ニッポンの刑務所30』 [books]

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『ニッポンの刑務所30』という本が発売されました。写真集です。

全国各地のいろいろな刑務所が、きれいな写真とともに掲載されています。

すべて読むと、なんとなく刑務所の雰囲気が伝わるかもしれません。

きれいでわかりやすいので、おすすめです。

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『スイングアウト・ブラザース』 [books]

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『コンカツ?』が女3人のコンカツものがたりだったのに対し、こちらは男3人が「モテ男養成講座」を受けるお話。似たような話ではあるけれど、実はけっこう違っているような気がする。個人的には、『スイングアウト・ブラザース』のほうが「深い」と思う。

とくに、講師役として登場するひとたちの言葉には、「えーっ、そうなの?」と本気で思ってしまうところがありました(笑)。どういう言葉かは読んでみてのお楽しみということにしておきましょう。

読みながら、登場人物の3人に感情移入して、モテ男養成講座に通った気分になってしまいました。あはは。
こういうのって、ほんとにあるのかな。あったら行ってみたい。エステの描写は気持ちよさそうだったなあ。

この本も、石田作品の中では傑作の部類に入ると思います。
ぜひ、どうぞ。女性にもおすすめします。

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『コンカツ?』 [books]

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4人でハウスシェアする女性たちのコンカツものがたりです。

表紙のイラストも、色も、何もかもが女性向けでちょっと男には手に取りにくく、電車でも人目が気になってしまう本ですが、それはすべて「外側」のこと。中身はとてもおもしろくてスピーディーに読めるので、この本を女性に独占させるのはもったいない(笑)。男でも十分楽しめます。文庫版ではもう少し中性的な装丁にしていただけたらと思いますけどね。

石田作品は短編も多いのですが、やはり長編ものがおもしろいですね。その長編ものの中でも、この本は傑作のほうに入るのではないかと思いました。もちろん、登場人物がバブリーだとか、こんなひとは周囲にいない、という批判はあると思うのですが、まあそれはそれ。周囲にいないというだけで、やはり近い人はいると思うので、そのあたりはさらっと流したほうが楽しめます。

そうそう、この本は文芸春秋から出ているのですが、大手の出版社で、かつ人気作家の本では珍しく赤字(誤植)がありました。185pの6行目。
そんな意味でも楽しめるかな(いや、楽しめないか・・・)。ひと文字だけなので、たいした赤字ではありませんけどね。いや、編集体制がしっかりしているところにしては珍しいなあと。

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加藤文太郎『新編 単独行』(山と渓谷社、2000年) [books]

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前回の記事の続きですが、話は『孤高の人』から『新編 単独行』に移ります。
この本はヤマケイ文庫から文庫版が最近出ているので、そちらの方が入手しやすいかもしれません。

さてさて、この本は、加藤文太郎自身が山について書いた文章をメインとして構成されている本です。これを読むと、やはり小説は事実そのものではないことがよくわかります。

たとえば、加藤文太郎氏は単独行が基本であり、実際にもほとんどが単独行ではありますが、必ずしもだれかと一緒に行きたくなかったわけではなく、むしろ行きたいけどスキーや岩登りが下手で迷惑になるからという理由で単独行を消極的に選択していったというほうが事実に近いのではないかと思われます。

それからときどき文章に書かれていますが、本人は気が弱いと自覚していたようで、それを克服するために山に向かっていたようなふしもあります。

そして遭難した北鎌尾根についてですが、あれはもともと4人のパーティーだったようですね。そして北鎌尾根を目指したのはそのうちの加藤氏と吉田氏(本名)。小説の中では、肩の小屋を出発するとき、加藤文太郎は行きたくなかったというふうに書かれていますが、「加藤、吉田両君遭難事情及前後処置」には、「そのとき加藤君は天候を見て今日中は間違いなく晴だといっていた」とあります。ですから吉田氏が加藤氏を無理やり連れ出したわけではないのが本当のようです。

それと、「山に迷う」という文章の中では、「吉田君は恐しく山に情熱を持っていて、山での死をすこしも恐れてはいない。その上岩登りが実にうまい。だから私は間もなく吉田君を誘惑してしまった」とあり、加藤氏が前穂の北尾根と槍の北鎌尾根に吉田氏を誘ったことが本人の文章によって示唆されている。

とすると、これらの文章を読んでいるはずの新田次郎がなぜ吉田氏を悪人に仕立て上げてまで加藤文太郎を単独行者とすることにこだわったのかは、ちょっとわたしの理解を超えます。

新田次郎は加藤文太郎に一度だけしか会ったことがなく、おそらく小説を書くにあたっては加藤文太郎と縁のあった人の取材とこの『単独行』をもとにしていると思われるのだけど、なぜ吉田氏がこれほど悪く書かれなければならなかったのかはちょっと謎ですね。

孤高の人を書いた当時は加藤氏も吉田氏も亡くなっているので、死者に対する名誉棄損は成立しないけれど、吉田氏が生きていたら名誉棄損が成立しているのではないかと考えられます。また、遺族のことも考えると、ちょっとやりきれないなあと思っちゃうんですよね。

たしかに、『孤高の人』はいい本ではありますが、事実を変更してまで書くことだったのかな、という疑問は残ります。ちょっと後味が悪くなっちゃいました。

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『孤高の人』 [books]

失業保険の受給期間も終わり、ほんとうの自由の身になったいま、いろいろなことから開放された感じがする半面、これからどうしようという不安もちらほら。

そんな弱い自分を強くしようと、求めたところは加藤文太郎氏でありました。

『孤高の人』は10年以上前に1回読んだきり。いま、再び読んでいます。ただいま、下巻。そろそろクライマックスの一歩手前というところです。加藤文太郎というのはこの本の主人公のことです。

おもしろいのは、彼が結婚するくだりのところ。彼は、結婚前夜、実家に帰るのですが、翌日の結婚式は午後3時から。それまで何をしようと考えた彼は、山に登ろうと考えます(爆笑)。しかも夜通し、さらに野宿です。

低い山ですが冬なので雪が積もっています。そんなこともあり、3つの山に登ったときには午後3時。親類一同、いったいどうしたんだとやきもきしているところに、彼が走って実家に帰ってきたというおはなし。

これ、どこまでほんとかはわかりませんけどね。おそらく本当なのでしょう。笑えました。

ところで、彼の結婚前の生活といえば、

・会社まで片道6キロの道のりを、ザックに15キロの石を詰めて毎日歩いて通勤し、
・冬山対策のため、1週間に1度は下宿先の庭でテント泊をし、
・ときには山で食べられないときに備えて会社でも食糧制限、

という生活だったわけですが、結婚後は、

・石を背負って通勤することはやめた。
・ナッパ服での通勤もやめて、背広で通勤するようになった。

ということです。このあたりの変化について、新田次郎の文章によれば、

「花子と結婚して加藤は、独身時代のその喜びはいつわりのものであることをはっきり知った。今はそこにあたたかい花子の白い肌があった。その肌から伝わってくる体温こそほんとうの喜びであった。もはや野宿は遠い過去のものであった。」

ということです。独身時代の喜びはいつわりかよ、と世のひとりもの全員を敵にまわすようなことばが気になります(笑)。

つづく。

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『下町ロケット』 [books]

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昨年の秋ごろにとしょかんに予約した本の順番がようやく回ってきた。武蔵野市にはこの本の所蔵は28冊あって、今日時点の予約は304件入っている。こんなに予約がある本はめずらしい。そしてそういう本にはあまり手を出さないのだけど、おもしろそうな本だったので、ちょっと手を出してみた。

きのう借りて、ゆっくり読もうと思っていたら2日で読んでしまった。400pあるのだけど、読み始めると止まらない。
きょうは図書館が17時までだったので勉強はそこまでにして、夕方からは読書の時間に。きょうの勉強時間が5時間だけなのがちょっと気がかりだけど、本の魅力に勝てなかった。

さて、内容はというと、とてもいいお話でした。一歩前に進む元気をもらったような気がします。それから、自分の中でなんとなく漠然と思っていたことがこの本を読んでちょっとした確信に変わった。そんなこともありました。

詳しいことは読んでもらった方がよいので書かないことにしますね。

さてと、きょうは7日。七夕ですね。失業手当を受けられるのもあと10日ほど、それから、勉強もあと1週間ほどがひとつの区切りになります。仕事どうしよう。会社員に戻るか、フリーでの道を探っていくか、腹をくくればどちらでもいい気はする。フリーなら勉強時間はとれるかな、とも考えるし、その一方で会社で働くのもきらいではないし、まよいにまよう。
そして勉強に関しては、いま、自分がいったいどの地点にいるのかまったくわからない状態(笑)。

ただ、この8か月、いろんな本を読んできたけど、仕事とか働くことに関して自分と同じ考え方のひとは、少数派ではあるかもしれないけど、とても少ないというわけではないということがなんとなくわかってきた。下町ロケットを読んで、それが確信に変わった。

いまは法律の問題を解いているのだけど、解説を読んでいても、試験で求められているものはその考え方に少し近いところがあるような気もする。ようするに、手を抜いたらダメなのだ。

どの事実が、どの法律のどの要件に当たるかをひとつひとつ、からまってしまった糸を一本ずつほぐしていくように考えて、それを書いていくと。簡単にいうとそんなことだけど、それができるようになるためにはとてもとても長い時間がかかるわけで、その時間のなかにいるととてもあせるのだけど、それをあせらずにコツコツとやっていくと。それが大切なのかな。

それにしてもその時間の流れのなかであせらずにいるというのはなかなか簡単ではないのだよね。

生きていくとはそんなことなのかと、思います。仕事もなんでも同じかな。

あと1週間、なにも考えずに勉強してみます。仕事のことはそれから。前向きに行こう!

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