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加藤文太郎『新編 単独行』(山と渓谷社、2000年) [books]

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前回の記事の続きですが、話は『孤高の人』から『新編 単独行』に移ります。
この本はヤマケイ文庫から文庫版が最近出ているので、そちらの方が入手しやすいかもしれません。

さてさて、この本は、加藤文太郎自身が山について書いた文章をメインとして構成されている本です。これを読むと、やはり小説は事実そのものではないことがよくわかります。

たとえば、加藤文太郎氏は単独行が基本であり、実際にもほとんどが単独行ではありますが、必ずしもだれかと一緒に行きたくなかったわけではなく、むしろ行きたいけどスキーや岩登りが下手で迷惑になるからという理由で単独行を消極的に選択していったというほうが事実に近いのではないかと思われます。

それからときどき文章に書かれていますが、本人は気が弱いと自覚していたようで、それを克服するために山に向かっていたようなふしもあります。

そして遭難した北鎌尾根についてですが、あれはもともと4人のパーティーだったようですね。そして北鎌尾根を目指したのはそのうちの加藤氏と吉田氏(本名)。小説の中では、肩の小屋を出発するとき、加藤文太郎は行きたくなかったというふうに書かれていますが、「加藤、吉田両君遭難事情及前後処置」には、「そのとき加藤君は天候を見て今日中は間違いなく晴だといっていた」とあります。ですから吉田氏が加藤氏を無理やり連れ出したわけではないのが本当のようです。

それと、「山に迷う」という文章の中では、「吉田君は恐しく山に情熱を持っていて、山での死をすこしも恐れてはいない。その上岩登りが実にうまい。だから私は間もなく吉田君を誘惑してしまった」とあり、加藤氏が前穂の北尾根と槍の北鎌尾根に吉田氏を誘ったことが本人の文章によって示唆されている。

とすると、これらの文章を読んでいるはずの新田次郎がなぜ吉田氏を悪人に仕立て上げてまで加藤文太郎を単独行者とすることにこだわったのかは、ちょっとわたしの理解を超えます。

新田次郎は加藤文太郎に一度だけしか会ったことがなく、おそらく小説を書くにあたっては加藤文太郎と縁のあった人の取材とこの『単独行』をもとにしていると思われるのだけど、なぜ吉田氏がこれほど悪く書かれなければならなかったのかはちょっと謎ですね。

孤高の人を書いた当時は加藤氏も吉田氏も亡くなっているので、死者に対する名誉棄損は成立しないけれど、吉田氏が生きていたら名誉棄損が成立しているのではないかと考えられます。また、遺族のことも考えると、ちょっとやりきれないなあと思っちゃうんですよね。

たしかに、『孤高の人』はいい本ではありますが、事実を変更してまで書くことだったのかな、という疑問は残ります。ちょっと後味が悪くなっちゃいました。

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