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ひとくぎり [日々のできごと]

5本目。ラストです。

18日でいちおう失業手当は終了。延長してもらったけれども60日だからそろそろ先のことを考える時期にきました。

昨年10月で会社を辞め、それからずっと勉強をしてきました。11月、12月の勉強時間は記録してなかったからわかりません。1月~4月の勉強時間は、149時間、174時間、173時間、161時間でした。平均164時間。これまでの5月分と、11月・12月の推定時間を合わせると、ほぼ1000時間になると思います。

ふだんから走った距離を記録しているので、勉強時間もそのついでとして記録することにしたのですが、これは正解でした。勉強の進み具合はとても主観的なもので、自分では少しは理解が深まっただろうと思っても、それはあくまでも主観であって、客観的にそれを表してくれるものはなにひとつありません。

だから、それがある程度まとまった時間として表れると、それはまぎれもなくそこに打ち込んだ時間ですから、主観から離れた客観的なものとして存在するようになります。また、自分でもそれを認識できるようにもなるんです。

今まで1000時間打ち込んだものってなにがあるかなあ。走ることはもちろん軽くクリアしていると思うけど・・・(と書いてみて、そんな軽くではないことに気づいた。だって最近は月に6、7時間しか走ってないからね。月に6時間で13.8年かかる)、あとはなんだ。読書の時間はそれくらいはいってるかな。

しごとについてはどうだろう。そうやって考えていくと、実はいろいろやっているようで、やっていないのかもしれない。主観と客観はちがうのだ。

あ、あった。ピースボートに乗った時に、いや正確にいうと乗る前に事務局でボランティアをしていて、1時間働くと1000円分船代が割り引かれる制度がありました(たぶん、いまでもあります)。

当時の地球一周の料金は1380000円。1時間1000円で割ると、1380時間になります。これをクリアして無料で乗ったことがあった(ただ、ビザ代などは別にかかります)。ま、この場合はさらに正確にいうと全部事務局で働いたわけではないので、概算だけど、まあそれくらいにはなっているでしょう。

そう考えると、1000時間というのはひとつのささやかな区切りとしてもよいのかなと思います。ほんと、ささやかなものだけどね。自己満足のための(笑)。

さて、今日はひさしぶりに『おとなの進路教室』を読み返しました。たくさんいいこと書いてあった。
そのなかでも、「Lesson5 待つ力」のところで、自分の心が受け入れられる仕事はそんなにたくさんあるわけではないので、新しい仕事が簡単に見つかるわけはない、その間はしっかり充電して待てばいい、というようなことが書かれています。

なかなかこういうことを言ってくれる人はいないので、とてもありがたいと思います。

こういう空白の時間、何者でもない時間が人をつくりあげていくのかも、と直感することがときどきあります。

迷ってるみなさん、理由はそれぞれですが、がんばりましょう!

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